2012年2月
天使の翼
天使の翼
「直立に立つヒトの身体の可能性」のところでは人が直立二足歩行を可能にしなければ、ヒトの持っている知的能力に進化しなかったということを述べてきた。
ヒトの持つ直立二足の身体構造がどうしても知的進化のためには必要であり、また学習能力が高い機能的身体であることが知的進化のためには不可欠であった。
そしてその学習能力の高さを獲得するために、直立という極めてバランス感覚を必要とする構造を敢えて持つことで、平衡感覚を中心とする重心の制御機能を大きく発達させ、これが神経系の知的意識感覚を高めるきっかけになっていることがその理由であった。
ヒトの身体は知的能力発揮のために必要な構造を持っている。
今日まで自然界の仕組みを科学的解釈によって明らかにしてきた人類は、地球上の生物の中で初めて大気圏から脱出をして、宇宙空間へと飛び出すことが出来た。これも直立二足による機能的進化によって知的能力を我々が持ったからである。
ここまで私は重力に打ち勝つ形態が直立二足による構造を可能にしたヒトの身体に見られるということを述べてきた。
ところが重力に打ち勝ち形態ということに深く拘るのであれば、重力の働く地上に垂直に立つということだけでなく、鳥のように空を飛ぶ、すなわち飛行ができる形態を持つというのも重力に限りなく打ち勝っているというものである。鳥が飛ぶようになって重力に打ち勝ったことと、ヒトが直立二足歩行を完成させて重力に打ち勝ったことでは、何がどう違うのであろう。
明らかなことは鳥たちに人類のような知的進化は現れなかったということである。
もしヒトに天使のような翼があったとしたら、ここまで科学を発展させることが難しかったのではないだろうか。
太古の恐竜の時代翼を持つ翼竜というのがいた。翼竜は今の鳥たちの祖先といわれている。恐竜の仲間には飛ぶモノがいた。これは凄い事実である。
今日の鳥は、鳥類であって哺乳類ではない。哺乳類の中で翼を持った生き物といえばコウモリくらいであろうか。私なりに考えていくと空を飛べるということは、生き物としては大きなメリットである。
人類は知的進化に優れていても空を飛ぶことが出来ない。跳躍は出来ても、持続的に空中を移動すること、すなわち飛行が、ヒトの身体能力では無理である。
ルネサンス期に多く描かれた天使の絵を見れば分かることであるが、天使にはヒトの身体と同じように手足があって、その上で背中に翼がある。これは鳥類から見れば大変に羨ましい構造である。
鳥類は翼を持つために、ヒトでいう手(上肢)を翼に変えて(進化させて)飛ぶことが出来ている。しかし天使は手があるのに背中に翼もある。もし人類が天使のような進化をしていたらと考えなくもない。鳥は翼を持つために手を犠牲にしている。
もし人類が手もあり足もあるという状態で翼を持っていたら、科学的進化を目指そうとしなかった可能性がある。なぜなら飛べるというのは便利すぎる。まして手があって翼があるなんて言ったら、ヒトを今以上にわがままな存在にする可能性すらある。ちなみに空を飛ぶ鳥を見て羨んでいたから、ライト兄弟は飛行機をつくろうとした。
ある程度の不自由を感じることが発明発見には必要である。ヒトの身体も知的能力のある身体ではあるが、喧嘩をすればライオンに負けるのが普通である。知的能力に優れた人類であっても、地球上で最強の生き物ではない。人類の祖先は弱肉強食の生態系という不自由の中で苦労をして知恵を蓄えてきたはずである。
それが天使のような体を持ってしまっていたら、知的進化どころかコウモリに退化してしまう所であると思う。コウモリは腕を翼にしているが、その先端には便利な指がある。哺乳類の割に夜行性で活動範囲が狭く、飛べるのにあまりいいイメージがない。天使の反対の存在として描かれる悪魔(サタン)はコウモリに似ていることが多いが、これは偶然であろうか。
これまで直立二足歩行を可能にしてきたヒトの身体は、学習能力が他の動物と比較したとき群を抜いて進化しているということを述べてきたために、ヒトの身体の不自由について何も述べてこなかった。動物界全体を見渡してヒトの存在を見たとき、ヒトという動物は弱肉強食の自然環境において極めて弱者である。人類の祖先は不自由な自然環境の中で知恵を絞り生き抜いてきた。これが大きな知的進化、我々の心に繋がっている。
しかし今日の日本は、先進国であり、各家庭に自動車があって、飛行機で海外に出かけられるなど、ヒトの身体の不自由なところを補う仕組みが多く存在するので、この便利さに慣らされているために「ヒトの身体の機能の限界」について、あまり考えなくても生活できてしまうようだ。
物質的な仕組みの文明開化のために今の生活は、過去の人類の社会環境と比べれば大変に便利で、便利なことが当たり前であり、このことが人類の思想の退化をもたらせているという可能性がある。
そうかといって今の時代を昔に戻せと言っているのではない。この便利さに慣らされず、然るべき考えと思想を持って生きる工夫が今こそ必要なのである。
思想とは生きていくために必要な人の心の栄養であり、これがその人の心の態度を明らかにする指針であり、生きていくための羅針盤である。思想のない状態で生きることは、実に哀れな人生を招き入れることに繋がる。
自然界の進化の力が、人に直立姿勢の身体を与える一方で鳥のように翼を与えなかったのは人が思想を磨くためである。思想は生きていくために必要な心の翼であり、思想を持てるように人に心があるといえる。ここが重要で、心があるというのは翼以上に人生を豊かにするためなのである。多くの人がこの重要なことを忘れて生きている。そして思想を練るために持っているはずの心で悪知恵を考えていたりというような見当違いなことをやっていたりすることもある。
もう一つ大事なことはこの心と体が決してバラバラでないという心身の仕組みである。人の持つ心という知的作用が進化できたのは、ヒトの身体が直立二足歩行に進化したからの他ならない。この身体になったから心が心として進化できたのである。たとえばヒト以外にヒトのレベルにまで心を進化させてきている動物はいない。もちろん動物には動物の心理作用はある。しかし思考をするというほどのものではなく、本能と五感からくる直感が一体であるような段階での心であることに留まっているといえる。
もしヒトのように思考するのであれば恐らくその思考を実現するための手や身体、言葉などという人と同じ身体構造機能が必要になってくるはずである。逆に思考を実現するための身体がなければその心は大変な不自由を感じることになる。
このように考えればヒトの心身というものは本来決してバラバラではなく、その心と体がどこまでも一体(一如)であることが明らかになる。
この心と体を結んでいるのは神経系という組織であり内分泌系というホルモンという伝達物質を介して身体を調整している系統である。神経系には自律神経系と運動神経系や感覚神経系から成り立っている。この三つの神経系と内分泌系は極めて関連深い相互作用がある。ちなみにこの相互作用について科学的に説明をするということは膨大な時間を要することになる。
しかし簡単にひとことでいってしまえば、正しい思想を持ち、日々の仕事に精進して規則正しい生活を心がければこれらの系統の協調作用は維持されることになっている。
しかしこの規則正しい生活とか、正しい思想を持つ、ということが簡単に実行可能ならば誰も人生に迷い悩みはしない。
ここが難しい。私を含め人生に試練は付きものなので、どうしても「背中に翼でもついていたら」と悩んでしまいがちである。どうすれば悩みが解決できるかという考えを練りながら思想を鍛えている。
しかし背中に翼がついていたらと考えることは非現実的で、これは飽くまで冗談の範囲であり、本当に翼でもあればなどと真面目に考えだすとコウモリに退化した考え方になってしまいがちである。
冗談で笑うことは真面目に考えすぎないために重要である。真面目すぎる人は冗談も冗談と思わないことがあるので注意がいる。冗談を冗談と自然に感じて笑っていられれば、正常に思考作用は働いていることになるので、くれぐれも冗談の通じる人で在りたい。
そもそも「規則正しい生活」のためには本当は冗談で笑えるという時間がいるのである。当たり前のことであるが、悩みは真面目に悩んでばかりいても解決しないものであるので、大まかな方向性さえ持って、その方向に向かう行動さえコツコツしていればいい。
方向性を知ることとその方向性に行動という努力をすることが何をおいても大切で、何の行動も起こさずに、ただ悩んでいるだけというのが最もよくない。
また行動を起こす場合でも、その行動が誰かの迷惑になるようなものであるとき、行動や仕事というのは飽くまで何かしらの社会的貢献がなければならないので、ここをはき違えないように知恵を絞るべきである。
実は、人生のほとんどはこの知恵を絞って行動するということに集約される。
この「知恵を絞って行動して生きていく」というのは人類の歴史が始まって以来変わらない真理である。つまりこの真理によって我々は進化してきた。この知恵を絞った行動によって人類の祖先は、打製石器や磨製石器という道具を使いだし、火を扱うことを覚えて人類進化に貢献してきたのである。
今は、我々の祖先が生きてきた時代と状況が違うかもしれないが、状況が違うからと言って知恵を絞ることを疎かにしていいというわけではない。ヒトには飽くまでも他の生き物にはない思考作用があるので、これを駆使しなければならないようになっている。この知恵を絞って行動をするということが実は体に善いのである。
ゆえに知恵を絞って方向性を考え、そして行動をする。そうこうしているうちに何とかなるという結果が来る。人類始まって以来ヒトは何とかしてきたのである。現代人は昔からの知恵の結集によって生活している。住む家も自動車も飛行機もライフラインも知恵の結集によって造られてきた。これも祖先が石器という道具を使いだしてきてからの人類の伝統である。
知恵を絞って方向性を見出し行動していれば、思想も神経系のバランスも内分泌系も整い始める。これも人類が翼を持たなかったおかげである。




